山川豊の学歴は?小学校、中学校、高校よりまぐろ船・かつお船の漁労員!

長年ファンから愛され続け、今もなお演歌界の第一線で活躍し続ける山川豊さん

そんな彼の人生は一見華やかに見えますが、そこに辿り着くまでの道のりには壮絶な苦労と努力の数々があります。

山川さんは1958年10月15日に三重県鳥羽市で漁師の家庭に生まれ、決して裕福ではない暮らしの中で育ち、その中で幼い頃から海で様々な経験しました。

そして、高校卒業後には何とまぐろ船やかつお船の漁労員として働いていたという異色の経歴もあります。

そんな山川さんは一体、小学校や中学校そして高校時代にはどんな経験をしていたのでしょう?

今回は、山川豊さんの学歴や若い頃のエピソード、そして漁師としての過酷な日々を詳しく掘り下げていきます!

是非、最後までご覧ください!

 

 

山川豊の学歴!小学校は?

山川豊さんが通っていた小学校は、「鳥羽市立鏡浦小学校」です。(現在は閉校)

山川豊さんは1958年10月15日に三重県鳥羽市石鏡町で生まれました。父親は漁師、母親は海女という漁師の一家で育ちました。

彼にとって幼い頃から海は身近な存在で、毎日のように海の波の音を聞きながら過ごしていたといいます。

そんな山川さんが小学生時代に通っていたのは、地元の「鳥羽市立鏡浦小学校」です。

現在は閉校してしまいましたが、当時の鏡浦小学校は生徒数も少なく生徒同士が皆顔なじみだったそうです。

しかし、山川さんの家庭は決して裕福ではなく給食費を払うのもやっとの生活であり、「お金がないから、おやつは海で獲ったアワビやサザエだった」と語っています。

そんな彼は夏場には兄弟と一緒に素潜りをして、お腹が空いたら採った貝をその場で食べることもあったそうです。彼にとって海の恵みが幼少期の支えになっていました。

また、山川さんは幼少期から歌が好きで、学校の発表会ではよく歌を披露していました。

しかし、家業が漁業である為、将来は彼も「漁師」になるものだと思っていた為、この頃はまだ「歌手になりたい」と口にすることはなかったそうです。

山川豊の学歴!小学校は?
結論、「鳥羽市立鏡浦小学校」に通っていました。
① 山川豊
② 小学校
③ 鳥羽市立鏡浦小学校
④ 貧しい暮らし
⑤ 海の恵み
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海が遊び場で、素潜りでアワビを採るなんてすごいね!

山川豊の学歴!中学校は?

山川豊さんが通っていた中学校は、「鳥羽市立加茂中学校」です。

山川さんは鳥羽市立鏡浦小学校を卒業すると、「鳥羽市立加茂中学校」へ進学しました。この頃から家計を助けるために、漁の手伝いをしながら学校に通う日々を過ごしていました。

兄である鳥羽一郎さんは、中学を卒業後すぐに漁師として船に乗り、家族を支えていました。そんな兄の姿を見ていた山川さんも、「自分もいずれは漁師になるんだ」と考えていたとの事。

山川さんはそんな日々を過ごしながらもこの頃から歌への興味を強く持ち始めました。

自宅では五木ひろしさんや北島三郎さんの曲を口ずさみ、「もしかしたら自分も歌手になれるんじゃないか?」と、漠然とした夢を抱き始めたとの事。

しかし現実は厳しく進学よりも家計を支えることが大切で合った為、放課後は友達と遊ぶ暇もなく、ひたすら家業の手伝いを行う日々でした。

山川豊の学歴!中学校は?
結論、「鳥羽市立加茂中学校」です。
① 山川豊
② 中学校
③ 鳥羽市立加茂中学校
④ 漁師の手伝い
⑤ 兄・鳥羽一郎
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この頃から歌手になりたいという夢を強く持ち始めたんですね!

山川豊の学歴!高校は?

山川豊さんが通っていた高校は、「三重県立鳥羽高等学校」です。

鳥羽市立加茂中学校を卒業し鳥羽高等学校に進学した山川さんは、高校時代ボクシングに熱中していました。なんと、その腕前は後にプロボクシングのC級ライセンスを取得するほどの実力でした。

また、高校時代はボクシングと並行して家計を助けるためにアルバイトも行っていました。

それと同時に「本当にこのまま漁師になるべきなのか?」という迷いもあったそうです。

そんな時、山川さんの人生を大きく変える出来事がありました。何と兄の鳥羽一郎さんが、演歌歌手を目指して上京したのです。

兄が夢を追う姿を見て、山川さんの心にも「自分も歌の道に進みたい」という気持ちが芽生えました。

しかし、山川さんはすぐに歌手の道を歩んだのではなく、高校卒業後はまず漁師の道へと進みました。

山川豊の学歴!高校は?
結論、「三重県立鳥羽高等学校」に進学しました。
① 山川豊
② 高校
③ 三重県立鳥羽高等学校
④ ボクシング
⑤ 進路選択
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ボクシングもやっていてC級ライセンスを取得する程の腕前には驚きですね!

 

山川豊の学歴!まぐろ船・かつお船の漁労員?

山川さんは、高校卒業後にまぐろ船やかつお船の漁労員として働いていました。

高校を卒業した山川豊さんは、すぐに上京することなくまぐろ船やかつお船に乗って漁労員として働く道を選びました。

漁労員の仕事は凄く過酷なもので、何ヶ月も海の上で生活して昼夜を問わず働く日々であり嵐の中での作業や重たい漁具を扱う重労働、そして命の危険と隣り合わせの日々でした。

しかし、これらの経験が精神的に山川さんを強くし、後の演歌歌手の道に進み辛いことがあっても乗り越えられる糧になりました。

そして、山川さんは兄の鳥羽さんが演歌歌手としてデビューしたことをきっかけに、「自分も歌の道に進みたい」と決意し、東京へ向かうことになったのです。

山川豊の学歴!まぐろ船・かつお船の漁労員?
結論、高校卒業後はまぐろ船やかつお船の漁労員として働いていました。
①まぐろ船やかつお船
②漁労員
③過酷
④命の危険と隣り合わせ
⑤鳥羽さんが演歌歌手としてデビュー

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漁労員で培った経験が後の山川さんの演歌歌手としてのキャリアに生きているんですね!

まとめ
・小学校は鳥羽市立鏡浦小学校で貧しいながらも自然と共に生活していました。
・中学校は鳥羽市立加茂中学校へ進学し家業を手伝いながら歌の夢を抱き始めました。
・高校は三重県立鳥羽高等学校へ進学しボクシングに熱中しつつアルバイトで家計を支えていました。
・卒業後はまぐろ船やかつお船の漁労員として働き、兄の影響で歌手の道へ進むことを決心しました。